
「これになろう」と思った日 ロックとの出会い
――上杉さんが音楽と出合われたのはいつだったのでしょうか。
ロックというものを知ったのが中学生のころでした。ツッパリ高校生がけんかに明け暮れる漫画『ビー・バップ・ハイスクール』が流行っていた時期で、僕が通っていた中学も荒れていました。ツッパリ方面に行きかけたんですが、その一方でロックやメタル好きの連中が集まるグループにもいて。僕は昔から正義感が強いところもあって、不良のアンフェアな感じがあまり好きじゃなかった。かといってどこにも“所属”しないといじめられる。だから自然とロックのグループに行くようになりました。
――本格的に傾倒していくきっかけは?
中学を卒業してから、横浜の専門学校に進みました。学校の帰り道にジュークボックスがあって、そこでは100円を入れるとミュージックビデオを見ることができたんです。そこでガンズ・アンド・ローゼズの「ウェルカム・トゥ・ザ・ジャングル」の映像を初めて目にしたとき、「これになろう」と思いました。
それまで音には触れていても、ビジュアルを伴って聞いたことがなかった。ボーカルのアクセル・ローズの、痩せていて少し女性的な部分が見えつつも激しい、という独特な感じが衝撃的だったんですね。こうなりたいと思っちゃって。

歌い出すと空気が変わった 声への確信
――プロを目指そうと具体的に行動に移されたのはいつだったのでしょうか。
当時、ガソリンスタンドでバイトをしていました。昼休みにコンビニに行って、音楽雑誌の「WHAT's IN?」を買ってきて見ていたんです。その中にビーイング(現・B ZONE)のアーティスト募集のページがあって、出身アーティストにLOUDNESS(ラウドネス)、浜田麻里、BOØWYって書いてあった。ラウドネスは当時、僕らの仲間内で一目置かれていて、「これはもう、ここに行くしかねえな」とすぐに応募したんです。
――歌うことについては、幼少期から得意だったのでしょうか。
母親が水商売をしていて、幼いころはお客さんの前で歌わせてもらうことがよくありました。僕が歌い出すと、みんなが一斉にピタッと止まってこちらを見るんです。そうした経験からうぬぼれが生まれて(笑)。ずっと自信はありましたね。
――その後、19歳という若さでデビューが決まりました。
「ロックバンドでデビューが決まったよ」と言われたんですが、内心「ロックっていってもいろんなロックバンドがあるよな」と懐疑的に思って、自分が志していたハードロック、ヘビーメタルとは違う感じがする、という思いは当初からありました。でも、その確証もないし、誰に聞いていいかもわからない。ビーイングの先輩バンド「BLIZARD」のボーカリストだった水野松也さんに電話したこともありましたが、「デビューが決まってよかったじゃん」と言われて。自分の心の中のモヤモヤをどう表現すればいいかわからなくて、伝わらなかったんだと思います。
ただ、WANDSのオリジナルメンバーのキーボーディストの大島康祐(現・大島こうすけ)がラウドネスのサポートとして全米ツアーに帯同していたこともあって、ラウドネスに近い感じでできるのかもといった希望もありました。希望と疑いの間を行ったり来たりしながらやっていた感じですね。

ヒットの中の静かな反抗 歌詞に残した“ロック”
――91年に「寂しさは秋の色」でデビューしました。
デビュー曲から「自分がやりたいものとは違う」と気づきました。でも、後に一時代を築く、プロデューサーの長戸大幸さんは怖かったし、10代の僕が「本当はこれがやりたいんだ」と言えるような空気も機会もなかった。そこまで売れないだろうという勝手な予感もあったし、またゼロからメンバーを集めて再スタートしようというような計算も心の内にはありました。
――その後、「もっと強く抱きしめたなら」(92年)、「時の扉」(93年)、「愛を語るより口づけをかわそう」(同)とミリオンヒットを連発しますが、モヤモヤを抱えながらのパフォーマンスはつらくなかったのでしょうか。
もちろん、歌っているときは真剣に、誠実に取り組んでいました。僕が書いた詞が評価されて売れたことも、純粋にうれしく思いました。けれど「本当にこれでいいのか」と、どこか複雑な思いは拭いきれなかった。当時、ビーイング系の音楽にとんでもない勢いがあって、ZARDやT-BOLAN、大黒摩季さんらがいて、すごいことになっているなとは思いました。けど、僕自身は売れていく中でも、「違うんだよな」という思いが常にありました。

――思い描いたものと違うことへの“反抗”は表現されたのでしょうか。
歌詞を書くときに、ロック的なニュアンスをどこかに残してやろうとは常に考えてこだわっていました。たとえば「愛を語るより口づけをかわそう」の歌詞では、いわゆるセックス・ドラッグ・ロックンロールというようなロックの象徴みたいなものを丁寧に書いてみるとか。そういうわずかな抵抗はずっとあったと思います。
(構成/AERA編集部・秦正理)
